組立部品輸入は本格化

契約当初は、MKDで、オースチンの組立をはじめたが、昭和28年9月の第二期工事完成とともにオースチソ車のCKDに移行し、同年12月からその組立部品輸入は本格化した。


だが大正、昭和初期のごとく全部品を輸入に頼ったわけではない。


中古車情報によればタイヤ、バッテリ、平ガラスは当初から、また曲板ガラスは昭和28年7月から国産品を使用し、ついでトリム部品、スプリング、フォームラバーなど15点を国産化し、昭和29年1月まで国産化部品は計224点に達した。


だが昭和29年9月にはイギリスのオースチンがA40からA50ヘモデルチェンジを行ったため、同年12月から同じくA50の組立てへときりかえた。


そのため部品国産化もこのモデルチェンジでふりだしにもどり、また初めから出発したのです。

第二工場に集中

中古車情報によると、昭和32年2月までに第三敷地に建設されたオースチン工場のエンジン組立設備、アクセル組立設備、エンジンテスト設備が、第二工場に集中されはじめました。


同敷地には、ニッサン車のマニーホールド、タイミソグ・ギヤー・ケースライソも同年1月まで移動されたから、オースチン1500㏄、ダットサン1000㏄の共用組立てが可能となり、両者の生産設備能力は、4000台に達しました。


その後設備の新増設が行われたため、1日、二交替16時間作業でニッサン専用エンジン1000台、オースチソおよびニッサンジュニア用1500㏄エンジン、ダットサン1000㏄エンジン計4000台、合計5000台に達しました。


このような設備の近代化と併行しながらオースチソ車の国産化が進みました。

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さて、日産は、こうした技術導入を既存の小型乗用車およびトラックの生産に利用して、乗用車工業の近代化をはかりました。


すなわち、昭和27年9月契約の成立から横浜工場第三敷地にオースチン車の組立工場の建設をはじめ、昭和28年3月第一期工事(500坪)が、ついで同年9月第二期工事(1000坪)が完成しました。


昭和30年11月鶴見工場が接収解除されたため、長期工場配置計画委員会にしたがって横浜第二工場が機械工場化され、第二敷地がオースチン専用工場に指定されました。

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