« 2011年01月 | メイン | 2011年06月 »

2011年05月 アーカイブ

はじめまして

はじめまして!ブログを始めました。


中古車情報や車に関わる歴史を書いていきたいと思います。


どうぞよろしくです。


さて、日産は、こうした技術導入を既存の小型乗用車およびトラックの生産に利用して、乗用車工業の近代化をはかりました。


すなわち、昭和27年9月契約の成立から横浜工場第三敷地にオースチン車の組立工場の建設をはじめ、昭和28年3月第一期工事(500坪)が、ついで同年9月第二期工事(1000坪)が完成しました。


昭和30年11月鶴見工場が接収解除されたため、長期工場配置計画委員会にしたがって横浜第二工場が機械工場化され、第二敷地がオースチン専用工場に指定されました。

第二工場に集中

中古車情報によると、昭和32年2月までに第三敷地に建設されたオースチン工場のエンジン組立設備、アクセル組立設備、エンジンテスト設備が、第二工場に集中されはじめました。


同敷地には、ニッサン車のマニーホールド、タイミソグ・ギヤー・ケースライソも同年1月まで移動されたから、オースチン1500㏄、ダットサン1000㏄の共用組立てが可能となり、両者の生産設備能力は、4000台に達しました。


その後設備の新増設が行われたため、1日、二交替16時間作業でニッサン専用エンジン1000台、オースチソおよびニッサンジュニア用1500㏄エンジン、ダットサン1000㏄エンジン計4000台、合計5000台に達しました。


このような設備の近代化と併行しながらオースチソ車の国産化が進みました。

組立部品輸入は本格化

契約当初は、MKDで、オースチンの組立をはじめたが、昭和28年9月の第二期工事完成とともにオースチソ車のCKDに移行し、同年12月からその組立部品輸入は本格化した。


だが大正、昭和初期のごとく全部品を輸入に頼ったわけではない。


中古車情報によればタイヤ、バッテリ、平ガラスは当初から、また曲板ガラスは昭和28年7月から国産品を使用し、ついでトリム部品、スプリング、フォームラバーなど15点を国産化し、昭和29年1月まで国産化部品は計224点に達した。


だが昭和29年9月にはイギリスのオースチンがA40からA50ヘモデルチェンジを行ったため、同年12月から同じくA50の組立てへときりかえた。


そのため部品国産化もこのモデルチェンジでふりだしにもどり、また初めから出発したのです。

全部試作を完了

一時的な逆転にもかかわらず昭和30年8月には過半数の部品の国産化をおえ、さらにエンジンミッションなどの重要部品もほとんど全部試作を完了した。


そしてA50のボディのBKDを開始し、同年9月にはボディの25%を、リヤー・アクセル、ギヤーボックスの100%を国産化した。


同年11月にはA50のエンジン、アクセルの70%の国産化を完了して、BDKの生産をはじめ、翌31年3月には、量産のため、それらの部品をライソへ供給しはじめた。


リヤー・アクセル、フロントサスペンション関係部品はやや早く30年12月から、ユニット関係部品は昭和30年1月からそれぞれライソへ供給され、同年3月にはエンジン、トランスミッションのごく一部を除き国産品によるオースチンの量産体制が完成した。


このように日産では、技術提携の調印をイギリスで行ってから、わずか3年9ヵ月で完全国産化を実現し、昭和35年3月契約完了とともにオースチンの生産をうちきり、オースチンにかわる新型乗用車を生産することになったのです。


そして、後々その車たちは中古車として販売されます。

特権使用料

中古車情報によると、いすづ、日野いすづは、昭和28年2月イギリスのルーツ社と契約調印を行い、同年3月政府に認可されたそうです。


その主な内容は、


1.ルーツ社製品全車種の自動車を、日本に輸入する独占権を獲得。


2.ヒルマン・ミンクス乗用車と、そのシャシーを利用したコンマー・デリバリー・バソに関しては、コンプリート・ノック・ダウンの組立から開始して、逐次部品を国産化する製造権を獲得し、これについて要する図面データ等の提供、技術指導、技術者の交流などあらゆる技術援助をうける。


3.技術援助の対価として最初の2000台を除き、それ以降に製造した自動車一台に対し、25ポンド(約2万5000円)の特権使用料を支払う。


4.また、対価の一部としてルーツ社に4900万円を支払い、ルーツ社はいすづの出資する5100万円と合わせて資本金一億円(授権資本金2億5000万円)の販売会社を新設、製品の販売サービスを行う。


5.契約の期間は5ヵ年とし、その後12ヵ月の予告通知により双方随時終結できる。


でした。

国産化を開始

前回の日記の続きですが、中古車情報によると契約にもとづきイギリスのルーツ本社の技術援助をえて組立用設備および同配置計画をたて、それに要する治具、熔接機等をすべてイギリスから輸入し、同年9月には、同社の大森工場を東洋のルーツ工場に改修し、同年10月から国産化を開始した。


部品輸入のため外貨割当も昭和28年100万ドル、昭和29年171万ドル、昭和30年124万ドル、国産化完了時の昭和32年までに計567万6000ドルに達し、その後組立車は昭和00年5000台、昭和32年までにほぼ1万4309台にのぼりました。

About

2011年05月にブログ「どこまでも中古車でいく」に投稿されたすべてのエントリです。新しい順に並んでいます。

前のアーカイブは2011年01月です。

次のアーカイブは2011年06月です。

他にも多くのエントリがあります。メインページアーカイブページも見てください。

管理人のお気に入り

なし